首藤正治のボローニャ滞在記②

丘からの赤い街遠景

「赤い街」での初講義

ボローニャには「赤い街」というニックネームがあります。旧市街の屋根瓦の色が街全体の印象となっているからですが、実はもう一つ理由があります。
第二次大戦末期にここは民兵ゲリラ組織、パルチザンの拠点となり、ナチスドイツに徹底抗戦して多くの犠牲を出しながらも、市民が街を奪還しました。そして戦後はファシズムへの反動で社会主義、共産主義的傾向の強い街になったのです。そういう意味での赤なんですね。
その空気を今でもボローニャ大学はとどめています。

文学部はその中核で、思想的な理由から入試がないのだそうです。その分、卒業までたどり着ける学生は半分ほどらしいですが。
もっともっと古い時代にはボローニャ大学の自由な気風はカトリック教会との対立を生むこともありました。
コペルニクスによって理論化された地動説を推し進めたガリレオ・ガリレイが教会からにらまれ裁判にかけられたのはよく知られていますが、医学の分野でも同様の状況がありました。
日本では戦国時代まっただ中の16世紀にボローニャ大学では体系だった解剖学の研究が進められていたのです。

アルキジンナジオ館 

大解剖室(左奥檀上に教授席が見える)

17世紀中頃には、初期の校舎であるアルキジンナジオ館に世界で初めて公開で人体解剖を行う大教室が設置されました。これは今も残されていて観光名所のひとつになっています。
井上ひさしさんの著述によれば、往時のキリスト教の教義では心臓に魂が宿るとされていましたから、この大解剖教室の壁には小さなのぞき穴があって、ドミニコ会の神父たちが異端取り締まりのために見張っていたのだそうです。
どこにのぞき穴があるのだろうと隅々まで目をこらして見たのですが、結局それらしきものを見つけることはできませんでした。

初期の教授や成績優秀者の紋章が壁や天井に掲げられている 

現在のボローニャ大学は32の学部で構成されていて、大学院を含めると学生数は8万人を超えると言われています。実に市民の2割がボローニャ大学の学生というわけです。
今回、僕が一連の講義をすることになったのは、文学部から20年前に分離独立した外国語学部(正式には「現代言語・文学・文化学部」)です。
学部数が多いのはこうして学問領域が細分化されてきた結果なのでしょうか。

外国語学部の共同研究室の窓の外に広がる赤い街 

外国語学部で教える言語は17カ国語におよび、学生の定員は1学年550人です。
彼らは二つもしくは三つの外国語を選択専攻しますが、なかでも日本語を選ぶ学生は120人ほどにのぼるそうで、アジア言語の中ではダントツですし、ヨーロッパ系言語と比べても引けを取りません。
イタリアの駅や観光案内所では中国語表記があるのが当たり前なくらい中国人観光客は増えているようですけれど、日本語はほとんど目にしません。なのになぜ? と聞いてみたら、「日本文化に興味を持っている若者が多いのです」という答えが返ってきました。
なるほどアニメ・漫画世代だと勝手に納得していたら、「それも確かに一因ではありますが、学生の多くは日本の伝統文化に関心があります。だから古事記や源氏物語などに惹かれるし、現代文学では村上春樹とか、最近では〇〇、△△なども人気がでてきていますね」とパオラさん。(〇〇、△△は作家の名前をおっしゃったのだけど僕が存じ上げない方々で、彼女の博識に驚嘆しました)
日本の教育制度はご承知のように小中高校が6、3、3年制ですが、イタリアではこれが5、3、5年制となっていますので、大学入学は19歳からとなります。
そして大学は基本的には学部が3年制です。修士や博士課程は日本と同様と聞いています。

 

さて、僕が担当するのは2年生と3年生の混合で90分の講義を10月に2回、11月に2回の計4回。
1回目の講義を16日に行ったところです。学生はざっと50人くらいだったでしょうか。
通訳はフランチェスコ・ヴィトゥッチ准教授が務めてくれました。
ミラノ生まれのハンサムな若手の先生で、ボローニャ大学卒業生。かつては一橋大学でも学んだという経験があって日本語堪能です。何よりも、奥さんが鹿児島出身の美人音楽家ですから日本のことは本当に詳しいのです。
お酒が入ると、「焼酎も好きだけど、日本酒ならなんといっても新潟の『鳳凰美田』が一番ですよ」などといった話をして毎回驚かせてくれます。「延岡の千徳も飲んでみてよ」と僕。
学部では90分を1コマとして午前中に2コマ、午後に3コマの講義が組まれていますから、5時限目は夕方の5時15分から始まり6時45分に終わります。僕の講義もこの5時限目でした。
「そんなに遅くまで講義があったら疲れてしまうんじゃない?」と聞くと、フランチェスコは「自分が学生の頃は6時限目までありましたよ。大変だったけど、今となっては懐かしいですね」と答えてくれました。

昨日は初回でしたので、自己紹介や日本の概観、そして延岡市の紹介と地方自治の概要の話をしました。
今後、第2講では「日本の課題」、第3講「日本的経営」、第4講「自然災害とその対策」という内容で予定しています。全体としては、「持続可能な社会を目指すには」というテーマを持って話そうと思っているところです。
学生諸君は本当に真面目で積極的に講義に参加します。
寝ている子は一人もいないし、目が生きているというのか、講義への集中力は素晴らしいと感じました。
たいして面白くもないジョークをみんなが笑ってくれるし、延岡市の紹介DVDを流した時には食い入るように笑顔で見てくれました。特に自然の素晴らしさを強く感じてくれたようです。
こちらも思わず熱が入ってしまってあっという間に90分が過ぎ、予定していた内容の2割以上も残してしまいました。
通訳を入れながらだと予想以上に時間を食うということもあり、時間配分は次回への反省点です。
(つづく)

首藤正治
大正大学客員教授・前延岡市長

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