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首藤正治のボローニャ滞在記⑤

首藤正治のボローニャ滞在記

寄稿/首藤正治

日に日にクリスマスの雰囲気に

光と陰を超えて

ボローニャ大学での最後の講義は、最近イタリア各地で洪水被害が出たことも念頭に、自然災害の頻発する日本の状況を写真・動画やグラフで示しながら、「自然災害対策」というテーマで行いました。前回より受講生の数が増えたのか、席が足りずに床に座り込んで聴講してくれる学生も数人いたようです。質問も多く、時間を少しオーバーしてしまいました。
これまでの一連の講義が学生諸君にとって意義あるものになったのであれば、うれしい限りです。僕にとっても刺激的で楽しいチャレンジでした。

目に余る落書き

さて、過去の4回の記事では、どちらかといえばボローニャの素晴らしい面に焦点を当ててきましたが、光もあれば陰もあるのが人間の社会です。
そういう意味で振り返れば、ここに来てすぐにエッ? と感じたことが3つありました。落書き、物乞い、タバコです。
近年、路地裏や電車の車体などにスプレーで描かれた落書きが世界中で目につきますが、ここボローニャでも中世そのままの街並みの景観がひどく損なわれてしまっています。延岡でも、そんなにひどくはありませんが、いつの頃からか散見されるようになりましたね。単に景観が悪くなるということにとどまらず、犯罪の起きやすい環境を醸成してしまうという面もあります(割れ窓理論)。

アートか落書きか

最近スペインからわざわざやってきて落書き(本人たちはアートと思っているのでしょう)をし、警察に捕まった連中がいると地元の人が嘆いていましたから、地域内だけで解決できる問題でもなさそうです。ニューヨークでは裁判でアートとして価値を認められた事例もあり、世界的な問題として長期化していく気配ですね。
物乞いやホームレスも目に付きます。
ある時アパートの玄関先で、元気そうな黒人の若者がお金を恵んでほしいと寄ってきたので、働いていないのか尋ねてみました。すると、「ボローニャに来て1年以上になるが自分たちには仕事がない。きょうも何も食べていない」とのこと。この時は人種差別に憤りも感じていくらか手持ちをあげましたが、後になって知人から「貧しい人も多いけど、結構いい暮らしをしている人もいるんですよ。先日は、いつも見かける物乞いの人が市外のリゾートで優雅に楽しんでるところにバッタリ出くわしちゃいましたもん。趣味みたいな人もいるらしいですよ」という話を聞きました。
そういえば、あの時の彼も結構こぎれいなスニーカーを履いてたなと思い出し、どう判断していいのかわからなくなってしまいました。
それに、タバコを吸う人の多いこと。
僕のイメージとしては、ヨーロッパでは喫煙者がめっきり減ったとばかり思い込んでいたのですが、これは少なくともイタリアに限っては大間違いだとわかりました。街の中心部は行き交う人でいつもにぎやかなのですが、タバコを吸いながら歩いている人も多くて、まさか歩道でこんなにも、いわゆる受動喫煙を感じることになるとは思ってもいませんでした。
「陰」に関してさらに言えば、講義の中で、イタリアの優れている点や弱点についてどう考えるか学生に質問したところ、ある女子学生から「マフィアが弱点」という答えが返ってきたことにもびっくりさせられました。
一般的な若者から国の弱点として意識されるほど、マフィアは今なおイタリアの政治経済を蝕(むしば)んでいるのでしょう。
まあしかし、こうしたことも全て含めてイタリアですし、イタリア人はその中で人生を楽しむ達人たちなのかもしれません。自分の言いたいことはストレートに熱弁を振るうけれど、電車が遅れたり店で待たされるようなことは気にしない。職人気質の「こだわり」の国民性であるけれど、何かにつけ効率が悪くったって無頓着。自分がどうしたいかが中心なのだけれど、だからこそ他人とも良い関係をつくる。はじめから「楽しい人生」を生きているのではなく、さまざまなことがあるのが当然の人生を「楽しく」生きているように感じます。

銀杏並木の黄葉

11月のボローニャは、なかなか晴れ間を見せてくれませんでした。ヨーロッパ全体がこういう感じなのかもしれませんが、秋になってせっかく木々が美しく色づいてきたのに、毎日どんよりと曇った日が続きます。
「黄色く鈍い光を放つ街灯は冬場のこの天候に実に似合っていて、夕闇が迫る時間になると、湿り気を含んだ空気の中で、それはそれは幻想的な暖かみのある風景になるんだ」とおっしゃる方もありますが、僕としてはやはり10月のあの連日の突き抜けるような青空が恋しくなります。

これから12月を迎えれば、街はクリスマスの雰囲気一色に染まっていきます。もうすでに市内各所の広場にはクリスマスマーケットがいくつか始まっていますし、街角にもイルミネーションが増えてきました。
このクリスマスマーケットにも、観光客中心というより住民自身が楽しんでいるとわかる活気があります。前にも書いたように、ここは昔から交流の盛んな土地柄ですから、その中で培われた明るく開放的な市民性を反映しているのかもしれません。

(左上)古楽器博物館/(右上)古楽器博物館でのコンサート
(左下、右下)教会でのバイオリンコンサートも無料だった

また、徒歩10分圏内に博物館や美術館が大小あわせて30ヶ所以上はありますが、この人口規模の環境でやっていけるのが不思議なくらい積極的な取り組みがそれぞれに進められていて、こちらに来た2ヶ月前とは別の新しい企画展を開催しているところが何ヶ所もあります。地域企業による基金に支えられているものも多いようです。
ひとつの例ですが、古楽器博物館でボローニャの作曲家ロッシーニのコンサートが開催されるというポスターを見たので聴きに行ったら、なんと無料でした。スタッフに尋ねたところ、地元の銀行が経費を負担しているのだそうです。

今回の滞在で、市民と企業そして行政もいっしょになって街を盛り上げている姿に触れることができて本当に良かったと思います。
一般的に街の規模が小さすぎると活気が出ないし、大きすぎると殺伐としてしまいますが、ボローニャはその点でも理想的なのかもしれません。同じことをする必要はありませんが、街の規模感からしても市民力の高さからしても、延岡は延岡なりの盛り上げ方ができるはずだとあらためて感じています。
(終わり)

首藤正治
大正大学客員教授・元延岡市長

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