父・黒木肇の手記2

父・黒木肇(はじめ)の手記2

※現代仮名遣いに改め、読みやすく編集しました

國雄、出撃前の7日の夕、「筑前アシヤ局より」とし電報あり。「キランニオル クニオ」とあり。
地名、筑前になきため急々、面会に行こうと思いながら電報の遅延と地名不明のため、9日の午後となりぬ。

同日、國雄より
「鹿児島県川辺(かわなべ)郡知覧局気付(きづけ) 西部第18946部隊黒木隊 黒木國雄」とし
見覚えのある黒木の印章、検閲済の書留着したり。
最初 紙包みなる國雄の遺髪あり。われら一同、襟を正し、押し戴き、神棚に供え、佛檀に燈明、柏手(かしわで)、合掌す。
かねて覚悟の事なりせど、一眼逢いたし、話したかったとは、親心なり。ましてや、祖母様の仏になられし事も知らで、と思えば胸詰まりぬ。
心を鎮め、日付を見れば、昭和20年5月7日とあり。今日は9日、出撃後の事ならんと思われたりしに。

父上様 母上様 國雄は全く日本一の多幸者でした。22年のお教え通り、明日お役に立つ事ができます。
私が幼少の頃から憧れていた皇国軍人となり得て、しかも死所(しにどころ)を得せしめて戴くとは、唯々感激のほかございません。
隊長として部下と共に必殺必沈、大君(おおきみ)の御楯(みたて)と散る覚悟です。また、必ず散り得るものと信じております

神州に仇船(あだぶね)よこす夷(えみ)しらの 生膽(いきぎも)とりて玉と砕けん

22年の過(こ)し方を顧(かえり)みますと、唯々皆様に対して感謝の念でいっぱいです。
実際楽しいものでした。また予科本科とありがたき4年は、わが一家にも日本の家として感謝と誇りに満ちた日であった事と思います。
國雄は真に満足です。
祖母上様の事は承知しております。
突っ込むその時まで祖母様がお守り下さる事と信じ、
早々お目にかかりたくあります。
父上様 母上様 國雄は永久に日本人として生かして戴く事ができます。ご安心下さい。
民雄、義雄、美智子、淳子、公子が必ず私として、私の足らなかった事を父上様、母上様に孝養(こうよう)してくれる事と信じます。
國雄は常に皆様の中に生きて居ります。
父上様 母上様 必ず嬉ばれる事と信じます。
他に申し上げる事もございません。
延岡も戦場 天孫降臨の裔(えい)として、ご奮闘されん事を祈ります。
父上様 母上様の御多幸ならん事を信じ、かつお祈り致します。
前夜  國雄拝
父上様 母上様

弟妹にも また

美智子 元気の事と信ずる。兄として何もしてやらなかった事、申し訳なく思う。
兄は軍人としてお役に立ち得る、喜んでくれ。
真心ある明るく元気な日本の女となってくれ。
長女として弟妹と一緒に父上母上を頼む。
美智子の幸福を祈り、かつ信ずる。

民雄 喜べ。兄は振武隊の隊長として大君(おおきみ)の御楯(みたて)と散る。今度は民雄の番だよ。
6年生として大いに頑張る事。兄としていろいろと民雄が大きくなる上につけて参考となる事を示すべきだが、幸福なる兄は武運に恵まれ過ぎて、その暇(いとま)もない。許してくれ。
ただ、今後、民雄がいろいろの事にぶつかって、困ったり、つまらなかったりするような事があったら、つまらぬ兄であったが、この兄を思い出せ。必ず民雄は元気を出す事ができる。兄も必ずまた力を出してやる。
義雄にも大きくなり次第、民雄から言って聞かせろ。民雄がいよいよ黒木家の長男だよ。頑張れ。義雄の指導を頼む

義雄 ニイチャンハ テキノフネニ カツテ シヌ トクコウタイチヨウダヨ
ヨロコベヨ 民雄ニイチヤンノ イフコトヲ キイテ リツパナグンジンニナルコト 義雄 バンザイ
淳子 公子 兄ちゃんは元気でやります。
姉ちゃん、兄ちゃんたちと仲良く孝行する事。立派な女になれよ。

これだけの決心覚悟よくよくできたり。早、出撃散華せし事かと、満21年生涯、生い立ちより昨年9月任官せし光栄の晴れ姿を見しまで眼に浮かび、言うに言われぬ感無量なり。

國雄、特攻隊長として出撃せしからには、その隊員の方々の芳名(ほうめい)も承りたく、また、その出陣の模様など、隊にて承りたく、思えば矢も楯も無く、翌10日の午前5時、鹿児島基地向け出発の決心す。
まず國雄はおらねど、他(ほか)隊員の方々にと思い、後藤高行(たかゆき)少尉殿の御母堂(ごぼどう)にお願いし、ご芳情によりいろいろの品取りそろい、細澤貞次(ほそざわ・ていじ)様の親身の郷土食など家内総出にて品そろいたり。

延岡駅における大野中尉殿のお世話にて、基地着までの時間など判明す。
途中、宮崎・南宮崎間にて爆撃を受け、この分なれば都城あり、鹿児島などいか様の事か。無事、基地着する事のでき得る事かと案じられしも、勇躍直進する事とせり。