安田善吉の戦争

家ごとに水と砂を完備

家ごとに「水」と「砂」と「たたき」は必ず完備されていた。しかし、焼夷弾攻撃には何ひとつ役に立たなかった。


自転車の横乗りが子供たちに流行
昭和18年頃

当時、子供用の自転車があるわけないし、大人用では足が届かないので、三角形の間に右足をのばしペダルを踏む。当時の子供たちには愉快な遊びでもあった。


音楽厳禁

音が外にもれるという理由で、蓄音機でレコードを聞くなどもってのほか。少年は童謡のレコードを聞きたくて、蓄音機のふたをあけて、うらめし気に中をのぞくのみであった。これを何度もした。


米軍捕虜の公開

夕刻、撃墜された米兵が、警察署の中庭で公開されると聞いて、怖々見に行く。この時初めて外国人というものを見たのである。一人の老婆がほうきを持って捕虜に罵声を浴びせてたのが深く印象に残っている。


焼夷弾が初めて落ちはじめた瞬間

空襲警報で家の中に掘ってある防空壕に家族で逃げ込んだが、焼夷弾が落ちはじめ真昼のような明るさになった中、父の命令で五ヶ瀬川へ布団をかぶって逃げた。逃げる途中の記憶はまるでなし。