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戦争をめぐる旅『特攻隊長とその父1』

戦争をめぐる旅特攻隊長とその父

黒木少尉との出会い

私は、松浦真由美を軸にした終戦50年企画の連載記事を新聞に書き始めたとき、書店で戦争関係の本を開いた。
何気なく一冊の写真集を開いた瞬間、とある特攻隊員の写真に目がとまった。

出撃前の黒木國雄
撮影:小柳次一
提供:黒木民雄

操縦席に座り、かすかな笑みの中に寂しさを漂わせている男の横側。その表情が妙に私の気持ちに引っ掛かった。
説明文にはこう書かれていた。

「鹿児島の知覧基地から沖縄付近に展開中の米太平洋艦隊へと体当たり特攻に出撃する特攻隊員、黒木少尉」

「黒木少尉」の出生地は宮崎県とあった。「黒木」という名前は宮崎県に多い。
調べてみると、私と同じ延岡市で生まれ育った人であることがわかった。

彼が最後に見せた微笑みの裏側になにがあるのかを知りたいと思い、延岡市に黒木少尉の弟・民雄さんがいることを聞き、電話をかけた(当時、私は宮崎市にある支社勤務だった)。
すると、その日のうちに民雄さんが支社に来てくださった。民雄さんも燃料販売会社の宮崎支社勤務。私の職場のすぐ近くで働いていたのである。

手にはお兄さんの遺書と、あの写真を携えていた。
資料一式を借り、兄の思い出話を聞いた。

黒木國雄(くろぎ・くにお)。昭和20(1945)5月11日、陸軍特別攻撃隊・第55振武隊(しんぶたい)隊長として出撃、21歳で戦死。

これ以降、現在に至るまで黒木國雄は私の中で大きな存在となり、戦争がいかに残酷でむなしいものかを語り継いでいく作業を続けることになった。

彼の話に入る前に、きっかけをつくってくれた本から順に追って書いていく。
その本とは、平成7(1995)年に出会った。

従軍カメラマン

黒木國雄(くろぎ・くにお)の写真は「従軍カメラマンの戦争」という本に掲載されていた。
撮影したのは陸軍報道部嘱託として各戦線に従軍したカメラマン、小柳次一(こやなぎ・つぐいち)。
知覧から出撃する國雄の横顔を撮ったのが小柳。
同じページには國雄の出撃を見送る父親の後ろ姿の写真もあった。

國雄を乗せて走り始めた「飛燕」に帽子を振って見送る父肇(右)
これが最後の別れだった。
撮影:小柳次一
提供:黒木民雄

小柳のコメントが書いてあった。

「黒木少尉の出撃を見送る。帽子を振るのは、前日、基地に面会に来た少尉の実父。心中、さぞ複雑なことと想像しつつ撮影する」

特攻隊長の息子の出撃を父親が見送る…そんなことができたのだろうか。
まずは、小柳と会って話を聞かなければならない。

小柳の経歴欄には、戦後も報道カメラマンとして活躍したとあり、最後に「引退後は宮崎県在住」と記されていた。
出版されたのは平成5(1993)年。2年前である。
会えるかもしれないと思った。

小柳を探していると、宮崎の地元テレビ局が1年前―平成6(1994)年にドキュメンタリー番組を放送したことがわかった。
タイトルは「時代を切り撮った男~従軍カメラマン小柳次一86歳」。
戦争をテーマにした作品を作り続ける橋口義春ディレクターが小柳にインタビューした約1時間の番組だった。

すぐにテレビ局に行き、橋口に話を聞いた。
それによると、小柳は放送直前の平成6(1994)年8月3日に87歳で死去。
亡くなる数日前、小柳の枕元に大型テレビを持ち込み、ドキュメンタリーを見てもらったのだという。
1年前に他界していたが、幸いにも橋口が記録した映像が残されていた。
後日ビデオを見せてもらう約束をして帰ろうとしたとき、橋口が言った。

「どうしようかと思っているんですけど、亡くなる前に小柳さんからこんなものを預かってね…」

そう言って、橋口はロッカーの上に積んだ段ボール箱を3個降ろし、テーブルの上に中身を広げた。
大量の白黒写真とネガフィルムだった。すべて小柳次一が撮影したもので、戦時中に従軍カメラマンとして撮ってきた写真が主だった。

その中にあの本に載っていた、黒木國雄の横顔と父親の見送りの写真があった。
それは、弟・民雄が持っていたのと同じ状態のプリントだった。
小柳自身が焼き付けて黒木家に送り、同じものを自分でも保存していたのだろう。

小柳から写真を託された橋口義春はその後、宮崎県を通じて、総務庁所管の独立行政法人平和祈念事業特別基金が運営していた東京・新宿の平和祈念展示資料館に一括寄贈した。

以降、資料館は小柳の写真を整理し、「従軍カメラマン小柳次一写真展」を開催する。その際に小柳を次のように紹介した。

「写真家・小柳次一さんは、約8年間、陸軍報道部の嘱託及び軍属として、国内の特攻基地や中国各地、フィリピン、千島列島などで兵士や戦場を撮影しました。その多くは陸軍報道部の刊行物に掲載されました。軍に提出したネガやプリントは終戦直後に破棄または焼却処分されましたが、小柳さんが自宅で保存していたために焼却をまぬがれた写真もあります」

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書いた人:坂本光三郎

坂本光三郎

宮崎県延岡市出身・在住。1983年、早稲田大学を卒業し、延岡市の夕刊デイリー新聞社に入社。編集部記者として、文化・歴史・福祉を担当。小・中学校の平和学習講師も務めている。現在、夕刊デイリー新聞社取締役(編集担当)。FMのべおか局長。

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