父・黒木肇の手記3

父・黒木肇(はじめ)の手記3

※現代仮名遣いに改め、読みやすく編集しました

午後5時、目的地知覧駅に無事着したり。車中、航空服の方に隊名など承り三角兵舎とか。隣の席の人、特攻隊の宿舎は山洋館にて案内下さるとの事にて、駅より宿舎向かう。

途中、山洋館の女主人ほかと会い、息せき切っての走り足に何事ならんと。
國雄の隊も聞きたしと、走りながら聞けば、昨夜泊まりし特攻隊の将校の方、基地訓練中墜落され、病院に行かれしとの事。
「貴殿(あなた)の子供さんの名は」との事に、「黒木國雄 特攻隊長なり」と走りながら話せば、
「黒木隊長なれば、三角兵舎。明日早朝の出撃。一時間(いっとき)も早く行って面会せられよ」との事。
宿の女主人に、3、4日前、出撃前夜の遺書、遺髪まで送りし國雄の居ることが分かるはずがなしと思えども、言葉の嬉しし。

殉職されし方のお名前聞けば伊藤少尉殿なりと。特攻隊となり内地最後の基地上空にて試験中散られしとは、さも無念ならん。
沖縄の砲声聞こえんばかりの出撃地にて、ご本人ばかりでなく、その親子様たちの御心中推察され人事ならず。

教わりし三角兵舎向け急行す。
途中、さきに車中にて面会せし航空服の方の厚意により軍用トラック便乗し、隊に向かう。
一望、眼も届かぬ広々たる飛行場、さすがなりと力強く思われたり。
点々たる松林に囲まれたる仮事務所にて副官殿に面接し、國雄の隊名示し承れば電話下され、本人國雄、在隊との事なり。夢か現(うつつ)か幻かと思はれぬ。
当番より案内をされ兵舎に着くまでは、同じ隊の同姓同名には非らざるかと気が気でなし。
この兵舎にて待たれよ。隊長殿は明日早朝の出撃に、飛行場にて機の点検中。今に帰られるとのことなり。

この待つ間の1分間が、3時間、1日も待つ思いなり。

されど、この兵舎には両腕に日の丸着(ちゃく)せし若き方々の多数にて、
「隊長殿の父上ですか。お世話になります」
「私は黒木と相武台よりの同期生です」
と挨拶する人もあり。

この若き方々は全部特攻隊員の方々と思えば、わが子同様、胸詰まり言葉少なし。
今に國雄来らば、國雄より紹介され、この若き特攻隊の方々に、皆様の明早朝の出撃に、皆々様の父(ちち)母(はは)を代表し、お祝いの言葉、壮途のお祝いの辞を、ああも言って、慰めたしことも、ご祝辞申し上げたらと思いおりたり。

國雄、7時頃帰営したり。その間、今に来るか、帰るかと松林の入り口に向かうこと再度なりしに。
と見れば國雄なり。ああ会えた。「父ちゃん」。後は無言。
暫時、敬礼するのみ。
両腕に日の丸、胸に隊長の記号あり。わが子ながら悠揚たる隊長ぶりなり。
あ、國雄だ。会えてよかった。國雄に面会(あ)える事なら家内全部連れて来たらと思いしこと切なり。

早朝の出撃に戦略の打ち合わせある事にて、隊員と何事か打ち合わせ中、その指揮ぶりと隊員の方々の一心同体の様喜(よ)しとして、さもあらんと思う。

打ち合わせの済みしか、國雄より隊の方々に紹介され、お祝いの言葉申し上げようと思いしに、万感胸に詰まり、先程よりの考えたことの半分も言われず。
持参の郷土食とお酒を出し、親子最後の杯を交わしたり。隊員一同の方々とも、皆 わが子のごとし。ああ来てよかった。これにて国の土産もできたり。

國雄より話を聞けば、7日、隊員と共に出撃せしに、故障のため途中より引き返せしとのことなり。その際、無電の連絡つかず3機そのまま突入。隊長に別れ、さぞかし寂しく突入せしことならんと。隊長の自責大なりと。さもありなん。
さるにしても、われら親子の縁(えにし)、幾重にもありしことか。

この日出撃突入いたしおらば、あの遺書通り、会われぬものなりしにと思う。
なお、あの遺書・遺髪は当番に、「確実に突入後、投函せよ」と命ぜしに、すぐにその日出したるためと話しおりたり。

町に泊まることと思いしに、早朝出撃なれば、このままこの兵舎に泊まられたしと皆々様の勧めにて、もったいなきことながら特攻隊の神々と、この三角兵舎に同宿したり。

國雄と枕を並べ、過ぎ越し方の話し積もる。
國雄、21年間の話しあれど、明日早朝の出撃、身体無理あってはと
「國(くん)ちゃん、もう休もう」と寝入につきしか。
「母ちゃんは、あの手紙を見て泣きはせぬかったね」と言ったり。
「何が、母ちゃんが泣くもんね。覚悟できておる。既に陸士に採用のあの電文より任官後、ますますその決心はできておるよ。安心しなさい」
祖母上様の魂魄(こんぱく)と、母のあの強い心と共に、見事に敵艦に突撃突入、必沈してくれよ、と激励の話しをす。

國雄、安心せしか、寝入につきしごとし。これでこそ安心なり。
自分は眠られぬままに國雄の寝顔、秘々と眺め、3時半の起床まで考えること次々なり。
わが子ばかりでなし。特攻隊の方々、明日の出撃に夜中冷気(さむけ)を覚ゆることなれば、風邪などにかかられてはと毛布を着せながら室内を廻りたり。

どの人もどの方も明日午前6時出撃、敵艦に突入する死を決した方々と思われず、無心に寝に着きなれし如くなるも、真の夢路は、故郷の父に母に通いおる事ならん。
せめて、私のよう父なり母なりが、この出撃前夜におはせしならばと思うなり。

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書いた人:坂本光三郎

坂本光三郎

宮崎県延岡市出身・在住。1983年、早稲田大学を卒業し、延岡市の夕刊デイリー新聞社に入社。編集部記者として、文化・歴史・福祉を担当。小・中学校の平和学習講師も務めている。現在、夕刊デイリー新聞社取締役(編集担当)。FMのべおか局長。

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