父・黒木肇の手記4

父・黒木肇(はじめ)の手記4

※現代仮名遣いに改め、読みやすく編集しました

午前3時半、國雄の目覚め、いかがかと案じおりしに、すっくと起床。隊員の方々も起床され、さすがはどなたも勇士なれと感じたり。

召集兵ならむ弟年頃の特攻隊の方々に早朝よりのいろいろの面倒、感謝するのほかなし。それにまして、話しに聞きし整備兵の辛苦、言語(げんご)の外(ほか)なり。夜中、連続徹夜の整備完了の報告。なお念には念を入れての手入れ。自分よりも懇(ねんご)ろにお礼を申し上げたり。

簡単なる朝食。武装整い、「サア出撃」と暗き松林を静々(しずしず)と進行。その勇姿、昨夜の皆様たれど、ますます神々のごとく見ゆ。
戦闘指揮所にて司令官より壮行会あり。閣下より訓示もありし事にて屋外にて待つ。

夜曙(あけぼの)となり東天白み、近隣の常会連(じょうかいれん)、見送りに旗立て来たりぬ。
東京調布隊長より黒木隊の出陣見送りせよと、わざわざ前夜、飛行機より来られし鹿児島国分の出身、横手少尉殿と飛行場に向かう。
夜中一睡もせず整備せし 整列の整備兵の方々に特攻隊の方々、敬礼を受け、待つ間(かん)しばしなり。

國雄の愛機・飛燕(ひえん)三式 特攻機の優秀機なりと。尾翼に「必沈必勝」の記号は、隊長殿より東京に行く際書かれし筆跡なりと。名誉の事なり。
この機にて國雄突入出撃する事かと、その初めて見る爆装の戦闘機を見、この入魂機を見、頭の下がる思いなり。

どうか無事任務達成、敵艦に突入さして下さるよう、神社に参拝せしが如く、正面より両横、尾翼方より伏し拝み、どうか敵艦に突入するまでは守らせたまえかしと祈願したり。

午前5時、國雄の集合命令に隊員集合す。
「いよいよ決行す。最後に何も言う事なし。元気で征こう」
隊長殿に敬礼と一同の分離(わかれ)の最後の敬礼あり。
全員東天(とうてん)に向かい、天皇陛下、御皇室に最後の永い敬礼。直立不動。東天曙の雲間より御光の燦然(さんぜん)たり。
その場面、えも言われず。一幅(いっぷく)の名画なり。

悠久の大義に殉ず。皇国の礎石(いしずえ)となり、御楯となる軍人の本分尽くし、ここ3時間に敵艦上に突入、玉と散華する。
特攻隊となり、軍人の死所(しにどころ)を得、満足の極みの如し。黒木隊全員、少尉、その武者ぶり、英姿颯爽(えいしさっそう)たり。この時ほど、男の子(おのこ)の、わが子でなし、天皇陛下の子なりと、秘々と特に感じたり。

隊長を中心に円を作り、特攻隊出陣の歌を高らかに歌えり。なんたる悠々たる勇姿か。これが、若年21歳より24歳までの若桜なり。
その気魄に押され、感無量。胸一杯となり、これが親子最後の永別(わか)れになるのに涙なし。ただ感謝感激、自分も特攻隊となりし心地す。

この間、報道班の記念撮影あり。自分にも最後の記念に、國雄との記念撮影下さるとの事なりしも、他隊員の方々に、神々に、今この出陣の際、自分らの父や母のこの場にお在りせばと思い想はせては相済まぬ事と、ありがたき事なれど、お断りした。

上空、援護機の警戒厳重となり、始動開始の旗に特攻機一勢に爆音高し。
國雄、私のそばに来たり。
「父ちゃん、國雄の晴れ姿見て嬉しいじゃろ」
「おお、嬉しい、喜ばしい。母ちゃん皆(みんな)にもいいお土産ができた。しっかり頼むよ」
「征きます」
これが最後の言葉。この時が最後の敬礼となりぬ。

隊員全部、機乗。神様の姿となられる。なんたる神々(こうごう)しさか。ただただ神々に見えて、伏し拝みたり。

白赤旗の合図に、発進の位置に出発す。整備兵はじめ見送り、一同、帽(ぼう)を振り、手を振り見送りす。

赤旗の振られ、発進は開始さる。
國雄、第1突撃隊長、第1番の発進なり。
その勇ましさ、わが子ながら限り無し。

戦闘機に爆装せし重量にか、黒い土煙(つちけむり)吹き上げ1キロ程も滑走するも離陸せず。この分にて良いか、あのままに望(はる)かに見ゆる山に激突する事かと心配す。
横手少尉より「大丈夫、黒木の腕に自信あり」と。
果たして浮いたり。あ離陸ができたり。
続く2番機、隊長の離陸に元気づき、これまた猛烈の発進す。
続く3番機、4番、5番機と続々、幾蓧(いくすじ)の黒い土煙打ち上げ発進す。
黒木隊全機の発進終わり、大いに安心したり。
上空いかにと見るに、國雄機、遙か遠く一粒の点。

離れ居るに、もしや故障でなきかと心配するも、つかの間、隊員の離陸を見届けしか、上空半周中の編隊の最先頭に大きく猛烈なる速度にて着くす。
司令官閣下の上空にて最後の翼振り々(つばさ ふりふり)、南方差して飛び去ったり。
横手少尉「うまい、さすが黒木なり。あの編隊の組み様、第一番、申し分なし。東京帰隊、隊長の報告に土産できたり」と聞き、自分また嬉れし。

上空、遠々、点々と見ゆ特攻機に、また伏し拝み、戦場まで無事着、全機突入のできまするよう、神々に祈願合掌したり。ああ涙なし、無言。
万歳あるのみなり。
横手少尉と戦闘指揮所の無電室に至り、
午前8時42分、第1突撃隊、突撃開始。我突入の無電を聞く。これ最後なり。
昭和20年5月11日午前8時42分なり。

最後の我突入の無電を聞き、三角兵舎に帰る。
昨夜、本朝(けさ)まで在りし、神々の姿なし。ただ今の数時間前の出来事想起され、一抹の寂寥(せきりょう)を感ず。
國雄名残の品、整理しながら、その香(か)を嗅ぎ、
「父ちゃん、晴れ姿見て嬉しいか」と、あの最後の声を繰り返したり。

横手少尉に慰められ、
「黒木は幸福(しあわせ)だった。航空に転科生のうち、イの一番に選抜され、金的を得、同僚の羨望だった。また、自分はわざわざ隊長より『黒木の出陣を見送りに行け』と命ぜられ来たりし者にして、隊長殿の命により真(しん)の整備兵も派遣されたのでした」と。

「今回の出撃に父から見送ってもらい、また最後の突入の電まで見聞き届けられるとは本当に黒木は幸福(こうふく)ものでした」と。

また、報道員の方よりも「出撃に立ち合われる事は最近少なく、良かった」と。
皆様よりありがたき言葉。これも國雄のお陰なり。

今日の天気も突入まで雲量あり、申し分なかりして、午後より少雨となる。
軍のご厚意により駅まで自動車を向けられ、高木報道員、横手少尉、佐伯少尉らと駅に向かう。事務所にて副官殿にお礼申し上げる。佐伯少尉も征かれる身、駅にて最後の御分離(お別れ)したり。

サラバ國雄、最後の地知覧よ。また父は来るよ。

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書いた人:坂本光三郎

坂本光三郎

宮崎県延岡市出身・在住。1983年、早稲田大学を卒業し、延岡市の夕刊デイリー新聞社に入社。編集部記者として、文化・歴史・福祉を担当。小・中学校の平和学習講師も務めている。現在、夕刊デイリー新聞社取締役(編集担当)。FMのべおか局長。

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