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再び目を覚ますアメリカ演劇界

影山雄成のバックステージ・ファイル

出演者の多いミュージカルとなると一人芝居に比べ感染対策を講じるのは格段に困難となる。
今回、ブロードウェイでも過去に2回上演された人気ミュージカル『ゴッドスペル』の上演に取り組んだのは2010年創立の地方劇場。
新約聖書のマタイによる福音書(マタイ伝)にある複数のたとえ話を下敷きにして、イエス・キリストの最後の7日間などを描く同作品の出演者は10人。
当然のように猛反対した組合を納得させるため、劇場側は30ページにおよぶ安全対策案をまとめ提出した。

公演は劇場の駐車場に仮設テントを設けて屋外で行い、観客の検温とマスク着用を徹底。
各グループが前後左右およそ4メートルの距離を置いて座り、チケットやプログラムはデジタル化。万全を期すために医師か看護師を毎公演で常駐させることを明確にしていく。
また出演者全員は、稽古と2カ月近くの公演期間中を劇場の所有する一軒家で共同生活。週3回シャトルバスに乗って地元の医療施設に出向きPCR検査を受けるようにし、意固地な組合を納得させた。

『ゴッドスペル』
Photo:Emma K. Rothenberg-Ware

今回の最大の特徴は感染防止を徹底した舞台美術。
装置の要となるのは“唾除け”と呼称される複数の移動型の透明パネルとなる。
ステージから最前列の観客まではおよそ7.5メートル離れているため、出演者が客席に向かって台詞を発し、歌っても飛沫感染の心配はない。
一方で出演者同士が向かい合って会話をし、歌い、ダンスをする場合は問題となり、透明パネルはその際の仕切りとなる。出演者同士が2メートル以内に接近する場合も安全とはいえないため衣装にネックゲイターを採用。
この首にあるマスクを引き上げることで頭部にあるワイヤレスマイクの妨げとならず口と鼻を覆うことを可能にする。またどの衣装にも消毒用のサニタイザーを入れるためのポケットが縫い付けられた。

『ゴッドスペル』
Photo:Emma K. Rothenberg-Ware

さらに、特例により物語の設定を新型コロナウイルスが蔓延する現代に置きかえる。
本来、歴史上の偉人たちがそれぞれの哲学を独白するという一場面は、パンデミックを受けての出演者自らの体験を各々が打ち明けるものに変更。家庭内感染の恐れや、最終選考にまで残ったオーディションが取りやめになったという役者ならではの体験、またアジア人への偏見で感じる危機感にも触れられる。

通常はシルクハットを被り、ステッキを手に歌われるボードビル調の楽曲では、最初にサニタイザーで手を消毒、ゴム手袋をはめ、互いの距離を2メートル開けるためにとステッキのかわりに物差しを手に歌うという演出になった。

『ゴッドスペル』
Photo:Emma K. Rothenberg-Ware

他にも、今の時代を反映した台詞が追加されたのが特徴。
アメリカ政府からの1200ドルの給付金や、Zoomを使っての他人とのコンタクト、握手の代わりにお互いの肘を合わせる“エルボー・バンプ”に至るまでが言及されていく。メディアは無条件で大絶賛。
辛口で有名な有力紙のNYタイムズの劇評家も「死から蘇ったミュージカル」と題し褒め称え、マスクを何度も涙で濡らしたと綴った。

『ゴッドスペル』
Photo:Emma K. Rothenberg-Ware

舞台俳優組合を納得させた一人芝居とミュージカルはこうして幕を開けたが、上演を開始して1週間と経たず、今度は行政の横槍が入る。
マサチューセッツ州知事が一部でクラスター感染が出ていることを理由に、屋外で認められている人数制限を最大100人から50人と半数に減らすことを発表した。両作品とも仕方なく残りの公演は観客の人数を減らし細々と行うことを余儀なくされてしまう。

その一方で、2作品が上演にこぎ着けた成果もあってか、舞台俳優組合はその後、急速に歩み寄りの姿勢を見せるようになる。
7月から再開したフロリダ州のディズニー・ワールドでは、舞台俳優組合に所属する約750人がパーク内のアトラクションに出演しているが、組合の猛反発があり職場に戻れずにいた。
ところが、マサチューセッツ州での上演が開始されて1週間後、舞台俳優組合は硬直姿勢を和らげ両者の和解が成立、組合員の現場復帰が決まる。

また8月下旬には、複数の地方劇場による屋内での上演に許可を出す。客席数を6割減らし、ミュージカルの場合は飛沫感染の原因となる可能性のある管楽器をオーケストラに加えないなどの条件付きだ。
さらには、閉鎖される直前にブロードウェイで上演を開始したばかりだった新作ミュージカルを、有料動画配信サービス向けに無観客で収録することも承認し、これにより3月から閉鎖されていたブロードウェイで久々に舞台が上演される運びとなった。

『ハリー・クラーク』
Photo:Daniel Rader

当初から利益を生むことはできないとわかりながらも、マサチューセッツ州の地方劇場が今回の上演を実現させようと奮闘したのは、演劇に傾ける情熱以外にも理由がある。
活躍の場を失い生活に喘ぐ全米の舞台俳優組合の役者に、再び舞台に立つ機会を提供することが急務だと信じたからだ。
そして芸術には癒す力があるという二つの地方劇場の信念は、アメリカ演劇界でのプロフェッショナルな舞台の復活という結果をもたらす。
ブロードウェイは少なくとも来年の1月3日までの閉鎖が決まっているが、再開に向けての微かな希望が見出せた。

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書いた人:影山雄成(KAGEYAMA,YUSEI)

影山雄成(KAGEYAMA,YUSEI)

演劇ジャーナリスト。 延岡市出身、ニューヨーク在住。 ニューヨークの劇場街ブロードウェイを中心に演劇ジャーナリストとして活躍。アメリカの演劇作品を対象にした「ドラマ・デスク賞」の審査・選考委員。夕刊デイリー新聞で「影山雄成のバックステージ・ファイル」を連載中。

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延岡バックステージ
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